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2008年 05月 02日
重森三玲(しげもり みれい)庭園美術館
京都大学正門(時計台)の近くに重森三玲庭園美術館があります。
重森三玲の旧宅以前元々は、吉田神社の社家として名高い鈴鹿家の所有であったものを、
昭和18年(1943)に庭園家の重森三玲が譲り受けました。
書院前の庭は、吉永小百合のシャープ液晶テレビ、アクオスの
CMで知られるようになりました。
庭園美術館としても数年前に開館されたようです。

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重森三玲(1896-1975年)は、岡山生まれ。
昭和を代表する作庭家、庭園史研究家、前衛いけばなを提唱する
など多分野で活躍しました。
日本美術学校で日本画を学んだ三玲は、絵画に挫折しその後庭園に興味を持ち
庭園を独学で学び、京都の東福寺方丈庭園、光明院庭園、松尾大社庭園など
国内に約200もの庭園を作庭しました。
国内にある各社寺には庭の資料が残されていないので、修復には困難が予想され、
将来も庭園の研究が発展しないことを痛感した三玲は全国の庭園の実測調査を
おこない「日本庭園史図鑑」を出版しました。
他にも「枯山水」、「日本庭園史大系」などの著書があります。
三玲の名はフランスの画家ジャン・フランソワ・ミレーにちなんで改名したものです。

重森三玲旧宅は、本宅、書院とも江戸期の建物で、その後三玲が新たに自ら設計して
建てた二つの茶席(無字庵 昭和28(1953)年、好刻庵 昭和44(1969)年)と、
自作の書院前庭や茶庭、坪庭がつくられています。
書院、茶室は国の登録文化財に指定されています。

書院前の庭は、中央に蓬莱島、東西に方丈、瀛州、壷梁の三島を配した枯山水庭園で、
部屋の内部や縁側から鑑賞することができます。

重森三玲は昭和期において立石本意のモダンな枯山水の復興に努力し、
抽象的な表現を模索しながら現代的な石組みを作り上げています。
画家ではカンディンスキーが好きで、三玲の残している絵画作品や彼が設計した
庭を見ると州浜や砂紋のデザインにはその影響が見て取れます。

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書院の床の間に「林泉」と書かれた軸が掛けられていました。
「元々、庭は日本で生まれた言葉、中国では林泉と言う。」と
説明がありました・・・・・・・良い言葉ですね。
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上段左:書院床の間(天井照明はイサム・ノグチ作)、右:重森三玲設計の茶席好刻庵(天井照明も三玲作)
下段左:水屋と坪庭
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by core1808 | 2008-05-02 05:06 | 美術館 | Trackback | Comments(0)